リスペクトコラムです。
つい数日前に、報道で工藤選手が病気でICUに入ったと聞き、心配しておりましたが、金曜日に訃報を知り、無念と悔しさがこみあげてきました。当ブログでも過去に重病を患い、闘病のために募金活動を紹介し、自ら募金もしました。亡くなった選手もいれば、復帰された選手もいました。工藤選手といえば、当ブログで長らくJ1柏での活躍をずっとリスペクトしており、きっとすぐに回復して復帰するんだろうと思っていましたが、まさかの逝去にただただ驚いています。まだ32歳。選手引退後は柏でコーチやって欲しいなと思っていました。現実は残酷ですね。
追悼の気持ちも込めて、記事を書かせていただきました。当ブログにとっては、余りにも柏時代のイメージが強すぎるので、論調も使用画像(過去記事より)も柏目線になりましたが、他のクラブの皆さん、お許しください。
【訃報 工藤壮人選手 逝去のお知らせ】
「このたび、弊クラブ所属の工藤壮人選手が、10月21日(金)14時50分に逝去いたしました。ここに生前のご厚誼を深く感謝するとともに、謹んでお知らせ申し上げます。
■株式会社テゲバジャーロ宮崎 代表取締役社長 二村恵太 コメント
私たちの大切な仲間である工藤壮人 が息を引き取りました。工藤選手を応援するサポーターや関係各所の皆様から、多くの励ましのメッセージをいただいたこと、クラブを代表し、御礼申し上げます。
工藤選手はJ1で活躍し、日本代表にも選ばれるなど、非常に実績がある選手です。それにも関わらず、驕りなどは一切なく、自分のことだけでなくチームメート、クラブ、そしてサポーターのことを大切にする素晴らしい姿勢の持ち主でした。クラブスローガン「真摯」をまさに体現してくれる存在でした。そのような選手のあまりにも早い逝去は、無念で残念でなりません。
選手、スタッフ、クラブ一同はまだ気持ちの整理ができない状況もございますが、工藤選手が宮崎に、クラブに残してくれたものを大切に引き継ぎ、精進して参りたいと思います。そして、工藤選手が信頼してくれたクラブをより良いクラブにすることで、少しでも恩返しして参りたいと思っております。工藤選手、テゲバジャーロ宮崎に来てくれて、力になってくれて、本当にありがとうございました。」
【訃報】
「工藤選手は2000年、小学4年時から柏レイソルの育成組織に加入し、U-12、U-15、U-18と9年間プレー。2009年にトップチームに昇格すると、翌2010年から主力選手としての華々しい活躍が始まりました。その年J2リーグ10得点でJ1昇格に貢献すると、翌2011年にはリーグ戦7得点でクラブ史上初のJ1リーグ制覇の立役者の一人となりました。
さらに、2011年FIFAクラブワールドカップ出場、2012シーズンの第92回天皇杯制覇、2013年にはヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)で決勝ゴールを決めてMVPを受賞。AFCチャンピオンズリーグには3シーズン出場し、2013年にはベスト4まで進出。2013年には日本代表に選出されるなど国内外に広く認められるストライカーとなりました。
レイソルでは2015年までプレーし、この間挙げたJ1リーグでの56得点は、クラブ史上最多記録として今なお輝いています。その後はカナダ、広島、山口、オーストラリア、宮崎と、常に挑戦し、立ち向っていく彼らしい姿勢を見せ続けてくれていました。
昨夜からの報道や記事、SNSには、クラブの垣根を越えて日本全国のサッカー関係者やファンからの工藤選手への言葉、思い出にあふれています。実直で、心優しく、いつも笑顔で接する工藤選手の人柄が偲ばれます。サッカー選手として、一人の人間として、尊敬に値する偉大な存在でした。ここに故人の生前のご功績を偲ぶとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。」
引用:J1柏公式HP

今日開催された、ルヴァンカップ決勝では、黙祷が捧げられ、ベンチに工藤選手のユニフォームが掲げられたそうです。両チームのサポーター席には工藤選手のダンマクを掲示されました。明日のJ2リーグでも黙祷があり、山口さんでも同様のシーンを目にするのかな。工藤選手が所属した豪州Aリーグの試合でも試合前に黙祷が行われ、得点シーンでは、選手達が背番号9とネームが入れられたユニフォームを掲げたとか。
J1広島公式HP該当記事:https://www.sanfrecce.co.jp/news/team/7959
【工藤選手が一番輝いていた時期】
工藤選手がどう輝いていたか、振り返ってみます。小学4年生からJ1柏のアカデミーに入団。柏レイソルユースでは吉田達磨氏(現J2甲府監督)の指導の下でプレー。この時代はアカデミー黄金時代であり、酒井宏樹、指宿洋史、仙石廉、武富孝介、山崎正登、比嘉厚平、島川俊郎、畑田真輝らと共にプレー。うち、仙石、山崎選手はJ2岡山に入団。2011年はレギュラーを獲得し、J1復帰即優勝に貢献。その時のクラブワールドカップでも3試合に出場し、オークランド・シティFC戦で得点。
2012年は天皇杯でも、準々決勝、準決勝で決勝点を挙げて、クラブの37年ぶりの天皇杯優勝に大きく貢献。2013年はヤマザキナビスコカップ決勝で、決勝点を挙げて優勝。大会MVPに選出。リーグ戦でも累積警告による出場停止1試合を除く全33試合に出場し、得点ランキング5位タイの19得点を記録(カップ戦、代表戦を含めると、56試合出場29得点)。これにより、クラブ日本人最多得点記録(18得点)を更新。2014年は自身初となるリーグ戦全試合出場と、Jリーグフェアプレー個人賞受賞を受賞。2015年はクラブの歴代最多得点者を達成。過去記事を振り返ってみると、ACLで活躍していたイメージも強いです。
こんな動画も貼っていました。動画①、動画②、動画③、動画④、動画⑤
J1柏では公式戦通算262試合で92ゴール28アシスト、J1広島では44試合で12ゴール2アシスト、J2山口では29試合で5ゴール1アシスト、J3宮崎では21試合で3得点を記録。山口時代に岡山にも1得点取っていますね。広島時代の柏戦に当ブログも行っています。この記事に出てきます。ちなみに柏時代のチャントは、「エキセントリック少年ボウイのテーマ」が元歌でとても耳に残るいいチャントでした。
日本代表としては、13年にザックジャパンに初選出。東アジア選手権で優勝に貢献するなど4試合に出場し、2得点を記録。当ブログではこの記事によると、ブラジルW杯出場を決めた後の、ヤンマースタジアムの試合に出ていて、実は現地参戦していました。つまり、代表での工藤選手も観れていました。そして、この記事では東アジア選手権の得点シーンが残っていました。記事のリスペクトを通じて、昔の代表時代の工藤選手に再会できて良かった。

早速DAZNで【追悼FOREVER9~工藤壮人~】という追悼番組(5分弱)をやっていました。時期的にどうしても広島時代以降のシーンが多かったですが、新鮮な気持ちで観れました。よく調べると、公式ツイッターで動画が公開されていたので、ご覧ください。また、クラブとサポーターグループでも追悼動画が発表されました。
DAZN公式ツイッター該当動画:https://twitter.com/i/status/1583753952419774464
J1柏公式YouTubeチャンネル「工藤壮人選手追悼スライドムービー」:https://www.youtube.com/watch?v=hEOHLrGipbE&t=90s
日立台柏熱ch「工藤壮人を忘れない」:https://www.youtube.com/watch?v=HIiriVRCFXg

工藤選手がアカデミーから飛び立っていったように、工藤選手を目標にしていたアカデミー出身の選手達が今季活躍しています(公式ツイッター参照)。真家選手とか。工藤選手の意思を継いで、また次のJ戦士が出てくると思います。柏サポのダンマク「柏の育成 俺達の宝」のとおり、工藤選手は柏の宝でした。という事で誠に口惜しいですが、ご冥福を祈ります。今までありがとう。他にも情報が出てきたら、この記事に付け加えていきます。
工藤選手公式ツイッター:https://twitter.com/masatokudo9
#がんばろう日本 #ThankYouHealthcareWorkers #ThankYouCaregivers